鹿児島市街地の一画、鴨池地域。
今なお鴨池市民球場や市営プール、市立図書館などで賑わうこの場所に、ほんの半世紀ほど前まで鴨池動物園という動物園があった事を知っている人は多いでしょう。遊園地や水族館なども併設されており、園内には大きな池と高架の鴨池電停がありました。
現在は平川動物園に移転する形で閉園されて久しく、跡地に建てられた鴨池イオン(旧・ダイエー鹿児島店)も令和6年(2024年)に老朽化を理由として閉店。新たに商業施設を整備する事が決まっています。
そんな鴨池動物園内を流れていたのが、鴨池川という小川です。その一部は暗渠化されており、今回はそんな鴨池川の暗渠となった区間を主にご紹介します。
鴨池川の概要
鴨池川は、古くは現在の鹿大付属中学校付近を源流としていた自然の河川です。以下にそのおおよその全体図をお見せします。

※航空写真より一部を加工し利用)
鴨池川の源流はかなりの低地の平野部にあり、一見すると人工的に引いた用水路のようです。しかしこの場所は新川に付け替えられる以前の田上川によって形成された扇状地の扇端にあたる事から、元々は伏流水の湧水による河川だったと思われます。
現在は自然河川というよりは雨水路としての役割が大きく、鴨池の市街地を流れる区間はほぼ全てが暗渠化されています。なお、鴨池動物園が現役であった頃には園内を開渠として流れていました。

新川という名前は、確か人工的に田上川の流路を変えた事から来ているんだよね?

そうだ。古くは現在の鹿児島大学付近を流れていて、境川などとも呼ばれていたんだ。とはいえ新川自体当時既にあった用水路を改修したもので、地形や経由地を見れば確かにその背景を見る事ができるぞ
鴨池川 本流の風景
鴨池川には鹿大付属中学校を源とする本流の他にもいくつかの支流がありますが、今回は本流と次に規模の大きい支流の実際の風景をご紹介しましょう。
源流付近~鴨池電停

まず最初に本流を上流側から辿っていきます。
現在源流付近は鹿児島大学付属の小・中学校の敷地となっており、辿れるのは鴨池川が市道 高麗本通線と交差するあたりからです。この一帯はかつては田畑が広がっており、一画には農事試験場(現・農業試験場)もありました。前述の昔の田上川による扇状地上はそのほとんどが耕作地だったものの、現在は宅地化が進み見る影もありません。
また、この大学の敷地一体が弥生時代頃からの住居跡が発見された遺跡でもあります。その中に鴨池川の痕跡を示す直接の遺構は無いものの、住居跡を僅かな高台とした場合鴨池川のあったあたりは低地となっていたようです。田上川が昔の流路であった頃は、一時期鴨池川に分流していた時期があったのかもしれません。

市道 高麗本通線から脇道に入ると、写真の様な蓋のされた水路に遭遇します。
これが現在の鴨池川です。流路自体は昔とさほど変わっていないようで、現在は当時の流路に沿う形で市道が通っていました。
また、途中谷山別街道という昔の街道と交差します。

鴨池川はところどころ蛇行しながら進んでいきます。暗渠はいかにも分かりやすいコンクリート蓋。
昔の地図を確認すると、この鴨池川がちょうど中村(現・鴨池)と郡元の集落の境界線の様な役割を担っていたようです。

やがて鴨池川は旧・谷山街道と交差。旧・谷山街道は谷山筋や谷山往還、山川路とも呼ばれる当時のメインストリートで、このまま南下し谷山を経て山川方面へと至ります。
鴨池川は旧・谷山街道より先で一時的に市道と分離しました。分離の際に川幅が今までの二倍ほどに拡幅。金属の蓋部分から覗いてみると一定の水量はあるようです。

そのすぐ先で鴨池川は県道 鹿児島加世田線(20号線)や鹿児島市電と交差。近くにある鴨池電停は当時鴨池動物園内に専用軌道の高架の駅として存在していましたが、後に鹿児島市電が路面電車化するにあたり現在の普遍的な電停に変わりました。鴨池電停の変化は、鴨池動物園が平川へと移転する事になった理由の一端でもあります。
また、この場所では鹿児島大学付近に源流域のあった鴨池川の別の支流が合流していたようです。そちらも雨水路に転用され今なお現役なんだとか。
鴨池電停~鴨池橋

鴨池川はそのまま市営の鴨池市民球場の脇を流れていきます。
この市営球場のある場所には古くは鴨池競馬場という競馬場兼運動場があり、後に野球場(現在の市民球場)とグラウンドになりました。うちグラウンドの跡地は現在鴨池団地の敷地となっています。

鴨池川はその後鴨池イオン跡に衝突。
動物園時代にはこの近辺にいくつかの池が点在していて、鴨池川はその脇を流れていたようです。池には釣り堀が設けられていた事もあるんだとか。
鴨池イオンの前身となるダイエーが建築された段階で川は暗渠となり、元々と同じ場所を流れていたのかも定かではありません。ただ鴨池イオンには地下駐車場があったので、道路に沿う形で付け替えられている可能性もあります。

鴨池イオン跡の西側にて、鴨池川は国道225号線と交差し以西は開渠となります。
架かっている橋は鴨池橋という橋で、正式には鴨池川とその支流で第一、第二橋の二つに分かれています。現在の橋は昭和64年(1989年)に架けられたものですが、動物園時代から橋自体は存在していました。橋の手前には国道225号線の築堤に石積みがされているのを確認。
現在の橋には水道管の橋も付帯しています。

鴨池橋の下流、鴨池人道橋の架かるあたりが動物園時代の河口の跡地です。ここより下流側は埋立地の中を流れる水路になります。
河口の右岸側にはかつて結核の治療を行っていた海浜院(現・鹿児島赤十字病院)という病院がありました。埋立が進むと鹿児島空港(鴨池空港)も設置され、そちらは現在霧島市に移転し跡地は団地になっています。
本流のご紹介はここまでとし、今度は先ほど鴨池橋で合流してきた支流を遡上しながら辿っていきましょう。
鴨池川 郡元支流の風景

本流が鴨池電停脇を流れているのに対し、支流の一つ(以下、郡元支流)は郡元電停付近を流れています。鴨池という地名は元々この付近にあった池に由来しているのですが、この支流はその池の付近を流れていたようです。
また、郡元には山王溝という用水路があったとされ、そちらは莚田という地域で田上川(新川)から取水していたと云われていますが位置や関係性は定かではありません。

郡元電停からわき道に入ると、郡元支流は暗渠としての姿を見せ始めます。
こちらは今は雨水路としての役割が強いのか、水は全く流れていませんでした。また鴨池川に比べ幅は一段と狭いです。

市道の突き当りから暗渠は単独の路地へ。
車止めの先からはいかにも暗渠らしい蓋がされた小道を進んでいきます。暗渠の両側には昔から住宅が立ち並んでいた様子。

路地を抜けた先で郡元支流は旧・谷山街道と交差。
この場所を左に向かうと新川が流れており、旧街道には涙橋が架かっています。古くは石橋であった涙橋は、それより南の谷にあった境ヶ迫門処刑場へ送られる処刑者と家族の別れの場所でした。
処刑場は後に移転しますが、跡地では一時私営の火葬場が営業。火葬場も市営として移転された現在谷は一部のみが残り、半分近くは紫原団地の造成によって埋められています。

その後一之宮神社の裏手を流れた郡山支流は中郡陸橋の下をくぐります。
紫原団地への新たなアクセス路として平成24年(2012年)に開通したばかりの道路で、複数の陸橋とカーブを使って約80mの高低差を連絡しています。以前は紫原へ上がるには純心坂と呼ばれる九十九折や、南鹿児島駅前の紫原陸橋経由が主でした。

郡元支流は郡元水源地付近で姿を消し、おそらく元々の源流域もこの辺りだったと考えられます。郡元水源地は元々は海軍の保有していた施設で、後に水道局が買い取り郡元・鴨池方面への送水に利用されました。
ここは湧水利用の水源で、この湧水の一部が鴨池川の支流として流れていたのかもしれません。
鴨池川とその代表的な支流の現地のご紹介はここまでとなります。
あとがき
今回、鹿児島市街地に多数ある暗渠のうち古くから河川として存在する鴨池川をご紹介しました。
私自身当時の鴨池動物園に行った事は無いのですが、最近の鹿児島市街地は無機質な都市化が進んでいるのもあって市街地に動物園があるのが少し羨ましくもなります。隣県の熊本県のように中心となる観光地があって、路面電車で行ける範囲に動植物園などがあるのが一番理想なのかもしれません。
鹿児島市の場合は平地が少ないのが課題ですかね……。

ちなみに鴨池動物園内の遊園地の他にも、二軒茶屋や与次郎、仙厳園上の磯山でも遊園地が運営されていた事があるんだよ。
今はどれも廃業してしまって、鹿児島市街地から遊園地らしい遊園地は姿を消してしまったんだ