城山T字防空壕

鹿児島市

桜島に並ぶ鹿児島市の象徴、城山。
古くは頂上付近に上山城が築かれた事を起源とし、後に島津によって麓に鶴山城が築かれると一気に鹿児島の歴史の中心となった歴史ある山です。
西南戦争の際には新政府軍によって追い詰められた西郷軍が籠城し戦場となり、太平洋戦争ではとある地下都市計画の舞台となりました。
今回はそんな太平洋戦争時代に城山の地に計画・着工された幻の地下都市計画、その名も城山T字防空壕を紹介します。

城山T字防空壕の概要と経緯

本土決戦が危惧される中、打ち出された地下都市計画

時は遡り1944年(昭和19年)。その頃の日本はアメリカを主とした連合国側と太平洋戦争を繰り広げていました。
着実に力を増す連合国を前に、日本は開戦当初の勢いを段々と削がれ追い詰められていきました。日本国内ではその頃から既に本土決戦の噂が立ち込め始めます。
そんな中、鹿児島市はとある計画を打ち出しました。それは城山の地下に大規模な防空壕を掘り、その中に市役所や銀行、商社などを設置する事で地下都市を成立させるというもの。
まず、照国神社付近と新照院とを200mほどのトンネルで結び、更にそこに垂直になるように新上橋の袂から300mほどのトンネルを設け合流させます。また、それらのトンネルには枝状の横穴を掘りそこに市役所などの施設を入れる構想でした。
この防空壕は、その形状からT字防空壕と呼ばれる事になります。

工事と悲劇

1944年(昭和19年)9月の15日に防空壕の起工式が行われ、実際に工事が開始されました。工事は市の直営で行われ、新川組が請け負い工事を進めます。高さ3m幅3mの大規模な物でしたが、城山はシラス質の掘りやすい土地という事で手作業による工事はスピーディーに行われていきました。
その後照国神社付近と新照院を結ぶ200mのトンネルが開通。1945年(昭和20年)の7月には実際に防空壕内に書類を運び仕事を行ったとする証言もあります。なお、当時は既に空襲を逃れるべく鹿児島市役所は上之原にある防空壕(※現存)内で仕事を行うなどしていました。
新上橋側のトンネル工事は遅れており、そちらは結局七割ほど掘り進めたところで終戦を迎えます。なお工事を進める中で西南戦争時代の西郷軍が潜んだと思われる地下室が発見されました。広さは4m×4mほどだったと言われています。
そんな中、T字防空壕では悲劇も起きました。1945年(昭和20年)4月8日の空襲の際、新上橋側の防空壕に数十名が逃げ込んだところを25キロの大型爆弾が襲い防空壕が崩落。数十名が生き埋めとなり亡くなりました。
現場には強い死臭が漂い、遺体の収容作業は酢を散布しながら行われたそうです。

戦後には完全に姿を消したT字防空壕

開通していた照国神社付近-新照院のトンネルと、未完成のまま本来の役目を終えた新上橋側のトンネル。現存していれば貴重な戦災遺産ですが、残念ながら現在は埋め戻されその詳細な位置すら不明となっています。
埋め戻しがいつ頃行われたのかは定かではありません。ただ、1960年代には既に照国神社側のT字防空壕の入り口がコンクリートによって封鎖された後の写真が撮影されています。
戦後、T字防空壕の扱いについては活用の道も議論されたそうです。具体的には、国道3号線のバイパスの一部として活用してはどうか、という意見が上がっていたんだとか。
しかし結局活用される事はなく、行政もその存在の継承活動を行っていないため歴史の闇に消えて今に至ります。

スズ
スズ

城跡や展望台のイメージが強い城山に、こんな計画があったんだね!
…でもどうして完全に埋め戻してしまったんだろう?保存の道とかは無かったのかな?

リスリル
リスリル

その理由については実はあまり資料が残されていない。戦後の高度経済成長期や突貫工事で作った防空壕自体の安全性の欠如は理由の一つにあったと思うぜ。
その事に加え、城山は防空壕に浮浪者が住み着いてバラックを形成し台風の際には防空壕が崩落して被害が出るなど治安問題も発生していたのさ

現地調査で探る、かつてのT字防空壕

前述の通り、T字防空壕は既にかつての所在は不明となっています。今回、防空壕の下記の情報を頼りにかつてのT字防空壕の①照国神社付近入り口 ②新照院側入り口 ③新上橋側入り口がそれぞれどの場所にあったのかを実際に現地で探ってきました。
※なお、聞き取り調査も試みましたが運悪く現地の方と遭遇できなかったため今回は割愛させていただきます

  • 照国神社付近の入り口と新照院側の入り口は約200mの直線で結ばれていた
  • その直線に垂直に合流する形で新上橋の袂から約300mのトンネルが計画・着工された
①照国神社付近の入り口

照国神社付近にあったとされる入り口の場所は、今現在地形の変遷もありはっきりとしません。城山遊歩道脇にはいくつかの大きな防空壕跡(※封鎖済)があるものの、新照院まで約200m/新上橋まで約300mという条件を加味すると城山遊歩道内に当てはまるものはありませんでした。

照国神社の西側にある遊歩道入り口付近

推定地の一つとしてあげられるのは、照国神社のすぐ西側にある遊歩道別ルートの入り口付近です。
この遊歩道別路は旧藩時代からの城山登山のルートの一つであり、地理的にもこの付近に防空壕の入り口があった可能性はあります。
ただし現在は駐車場やマンションが立ち並び、崖は法面工事が成された影響でその痕跡を探す事は出来ません。

照国神社の西側 250mほどの場所にある住宅地裏

別の推定地としては、照国神社より250mほど西側に進んだ先の宅地裏があります。
新照院まで200m、垂直に合流する新上橋側から300mnという条件に当てはまる場所としては最適です。また、戦後の航空写真を確認するとこの場所は既に宅地として土地が開かれていました。
ただし、こちらも同様に落石防止工や法面工事の影響で防空壕跡の痕跡を探す事は難しくなっています。

照国神社の境内裏手にある奉遷壕跡

最後の推定地として、可能性は著しく低いですが照国神社境内の裏手があげられます。
ここにはT字防空壕とは別に、一時的に照国神社の御神体が戦火を逃れるべく鎮座していた防空壕、奉遷壕の跡地が整備されています。この近くにT字防空壕の入り口があった可能性も0ではありません。
ただし国道3号線のバイパスとして利用する意見が上がっていた事を考えると、境内内(裏手)にあった可能性は低いと思われます。
この場所も防災工事等で地形が変わった跡がありました。

②新照院側入り口

新照院側の入り口というのも具体的にどこにあったのかははっきりしません。
考えられる推定地は二つほどありますが、そのどちらも既に戦後と地形が変わってしまっているため入り口を封鎖したような痕を見つけるには至りませんでした。

SHIROYAMA HOTEL KAGOSHIMA(※旧・城山観光ホテル)下の法面

一つ目の推定地は、新照院のメインルートよりJR鹿児島本線の人道跨線橋を渡った先にある広い法面工の成された場所です。
ここは現在SHIROYAMA HOTEL KAGOSHIMA(※旧・城山観光ホテル)を支える法面となっていますが、かつては今よりも若干奥まった谷のような地形になっていました。法面となったのは城山観光ホテル及び城山遊園地(遊楽園)が開業した1960年代付近だと思われます。
仮にこの場所に入り口があったと仮定する場合、照国神社までの200mと新上橋からの300mという条件を綺麗に満たしている事になります。

SHIROYAMA HOTEL KAGOSHIMA(※旧・城山観光ホテル)の東駐車場下

二つ目の推定地は、現在SHIROYAMA HOTEL KAGOSHIMAの東駐車場が整備されているあたりの崖下です。この辺りには太平洋戦争以前の時代に火薬庫があった事が地図上に記されています。
ただしこちらは照国神社方面へ城山を貫こうとすると300mほどの長さが必要になるため、先ほどの推定地と比べると可能性は低いと思われます。

③新上橋側入り口

最後に新上橋側の入り口ですが、こちらは城山の尾根の突き出したちょうど新上橋のすぐ袂にあったと考えるのが自然です。
実際に過去の写真では、新上橋の袂のシラスの崖に大きな防空壕の穴が開いているのを確認できます。ただしそれがT字防空壕のものであるかは定かではありません。
残念ながら現在はその全体が法面工事によって覆われており、その前にマンションが建っているため痕跡を探すことは不可能に近い状態になっています。

かつてシラス崖だった法面壁の前にはマンションが立ち並ぶ

新上橋側の入り口があったと思われる法面壁は国道3号線沿いに並ぶマンションの裏手にあります。立ち入れる範囲で見た限りでは埋め戻したような痕もなく、既に完全に消滅してしまったようです。

スズ
スズ

ここまで何も残ってないと、本当にT字防空壕なんてあったのかなぁ…?

リスリル
リスリル

存在を疑うのも大切な事だ。だがしかーし、この防空壕に関しては実際にその実在性に関わる証言がいくつか残されている。中でも総務省がインターネット上で当時の声として抜粋した書籍の中にもT字防空壕の存在は証言されているんだ

おわりに

鹿児島は大規模な空襲を何度も受けた都市の一つです。また、知覧や万世などの特攻に使用された飛行場も多くありました。太平洋戦争時代の遺構というのは小さな防空壕という形で多くの場所に点在しています。一度どれほど小さな物でも構いませんので、地元にある防空壕がなぜその場所にあるのか、その土地が戦時中どのような役割を担っていたのかを考えてみてはいかがでしょうか。
ただし特別な装備無しに中に入る事は大変危険ですので絶対にお止めください

スズ
スズ

鹿児島の防空壕はシラスに掘られる事が多いけど、シラスには掘りやすくかつ一定の耐久性が保たれるメリットがあるよ!でも、雨などによる湿気や衝撃には弱い欠点もあるみたい…

参考資料

昭和44年9月8日 『城山物語』- 毎日新聞鹿児島支局

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