皇徳寺の隧道 ~団地に消えた小さなトンネル~

旧・谷山市

鹿児島市には、時代と共に生まれ、そして消えていった隧道(トンネル)が複数あります。
今回紹介するのはその中の一つ、かつて旧・谷山市の皇徳寺地域に存在した隧道です。

この隧道は名称を含めて詳細な情報が無く、はっきりしているのは現在の皇徳寺団地のある尾根に隧道が存在し、既に団地造成によって姿を消している事のみです。

皇徳寺の隧道の概要

  • 所在地:鹿児島県鹿児島市 皇徳寺台3丁目
  • 竣工年月:詳細不明
  • 延長:詳細不明。推定約30m?
  • 幅員:詳細不明
  • 現況:団地造成により消滅
  • 備考:付近に車を止められる場所はありません

皇徳寺の隧道の歴史

皇徳寺の隧道は、前述の通り史料などにも一切の記述が無く、記念碑も無いため扱いが難しい部類の隧道です。その為ここでは航空写真や周囲の地形などからその歴史を推察していきます。
考察ベースになりますので確かな情報では無いことに留意くださいませ。

スズ
スズ

皇徳寺……って地名なんだね?お寺の名前じゃないんだ

リスリル
リスリル

いや、元々永田川の近くに皇徳寺という大きなお寺があったんだ。廃仏毀釈で寺址自体は一部を除き跡形もないが、皇徳寺団地が造成される時に団地名として採用されて広く知られる形で残ったんだな。
一応地名としては団地が出来る以前から字(あざ)として存在していたぜ

1948年 -戦後既に存在している隧道
1948年3月の皇徳寺の隧道付近
(出典:国土地理院ウェブサイト
※該当年月航空写真より一部をトリミング加工し利用)

現時点で皇徳寺の隧道の存在が確認できる最も古い資料は、戦後となる昭和23年(1948年)の航空写真です。その為少なくとも昭和20年代にはこの隧道が存在していた事になります。
写真の中央、道が不自然に途切れている箇所が隧道と思われ、これは地形図上に初めて姿を現す昭和30年代の隧道表記とも合致していました。なお、それ以前の地形図にこの隧道が表記されたものは現時点で見つかっていません。鹿児島では他にも開通済みにも拘らず古い地形図には記載されていなかった隧道の例があるからに、記念碑などが無いとなかなか年代の特定が難しい状況にあります。

隧道が設けられているのは、永田川の支流である山之田川沿いと山田地区を隔てる尾根が細くなる地点。隧道が出来る以前には、尾根を北に迂回し峠を越える古道が利用されていたようです。

1984年 -隧道は消え更地へ
1984年5月の皇徳寺の隧道付近
(出典:国土地理院ウェブサイト
※該当年月航空写真より一部をトリミング加工し利用)

昭和50年代後半、昭和59年(1984年)の航空写真では既に皇徳寺団地の造成が始まっており、隧道が貫いていた尾根ごと削り取られている事が判ります。
その代わり、隧道までの旧道がついていた支尾根に沿って別の道路が造成されているようです。

2011年 -街並みに消えた隧道跡地
2011年1月の皇徳寺の隧道付近
(出典:国土地理院ウェブサイト
※該当年月航空写真より一部をトリミング加工し利用)

平成に入ってからは皇徳寺団地も本格的に栄え、その後平成14年(2002年)には南皇徳寺台が新たに造成されました。航空写真に写る調整池(南皇徳寺台調整池)とその左側の住宅地が南皇徳寺台の区画です。なお、団地内には分断するように指宿有料道路指宿スカイライン)が通っています。

南皇徳寺台の造成に伴い、かつて隧道へと続いていた旧道も調整池用地となり完全に封鎖。隧道時代の痕跡が目に見える場所から消えたタイミングであったと思われます。

現在の皇徳寺の隧道跡地

ここまでは地形図をベースに考察をしてきましたが、実際にその隧道の跡地はどうなっているのかをご紹介していきます。
先に断っておきますが、地形ごと消滅しているため隧道に繋がる構造物や名残は一切遺っていません。

隧道跡地(皇徳寺南交差点)

隧道の跡地は、現在の皇徳寺南交差点のあたりになります。指宿スカイラインの中山ICから皇徳寺団地にアクセスする地点になっていて、実際に通った事のある人も多いでしょう。
隧道はこの交差点を斜めに横切る形で存在していたようです。残念ながら痕跡や、跡地を示すような看板の類もありません。

市道 山之田皇徳寺団地線

皇徳寺南交差点から分岐する小径、市道 山之田皇徳寺団地線はかつての隧道への旧道の付替道にあたる道路です。旧道と比べて大きく迂回して傾斜を緩める構造になっていて、逆に隧道に向かって直線的に坂を登っていた旧道とは写真右のフェンス付近で合流していました。
南皇徳寺台調整池が造られるまでは旧道も残っていたようです。が、現在はその痕跡の路盤などを確かめる事は難しい状況にあります。フェンスを越えようとして通報されるか越えても足を滑らせて調整池にドボンする筆者の姿が容易に想像可能……。

南皇徳寺台調整池

南皇徳寺台の一画からは、隧道および旧道のあった場所と南皇徳寺台調整池を一望する事ができます。
ちょうど写真の中央付近に隧道と尾根はありました。そこから右に突き出た支尾根に旧道はついていたようですが、緑が深くそれらしい線形を見る事は適いません。

この調整池が設けられているのは元々小さな窪地となっていた場所です。前述の隧道開通以前の古道はその窪地内の田畑を経由していました。

山田側の隧道への旧道の名残り
市道 一丁田立迫線終点付近

これまで山之田川側の隧道への旧道を辿りましたが、山田側の隧道までの旧道はというと、残念ながら山之田川側以上に団地造成の影響を受けほとんど痕跡は残っていません。
一応市道 一丁田立迫線がその旧道の一部にあたるのですが、前述の隧道を経由しない古道との合流点付近で調整池によって寸断されており、隧道時代に限った旧道区間は遺されていません。
写真の左方向、団地のある高台へと向かう坂道がかつては存在していました。

以上が、現在の皇徳寺の隧道跡地の様子になります。
前後の旧道を含め、ここまで痕跡が遺っていない(アクセスできない)隧道も近郊ではなかなか珍しい気がします。

あとがき

今回は皇徳寺団地に隠されたとある隧道をご紹介しました。以前別のブログでも取り上げましたが、そこより掘り下げて紹介できたのではないかと思います。それでも圧倒的に情報が少ないのが現状ですが……。
話が180度変わりますが、ようやっと秋までひと踏ん張りというところまで来ましたね。恥ずかしながら筆者は極度の多汗ゆえに、こういう団地上へ登る探索も冬からしかできないので楽しみなものです。

リスリル
リスリル

ちなみにこの隧道の尾根伝いには、中世城郭の山城の一つ苦辛(くらら)城址があるぜ。そちらも調査が行われた後に団地造成によって消え、一画のみ公園として遺っているんだ。
今回の隧道との関連性は直接は無いと思う。……空堀を間違えて地形図上に隧道表記していた、なんてことが無ければだがな

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