鹿児島一のシンボルと言っても過言ではない存在、桜島。
市街地からも容易にアクセスができ、雄大な活火山としての姿や、火山活動にまつわる史跡など観光地にも恵まれたジオパークです。かつては武地区から登山も可能でしたが、現在は湯ノ平より上へは登る事は出来ません。
そんな桜島には、実はかつて県内初となる水族館、その名も桜島水族館が営業していた事をご存じでしょうか。閉業してから長く経った今、その跡地はどうなっているのかを今回ご紹介していきたいと思います。
桜島水族館の概要
桜島水族館は観光需要の高まりを受け構想され、昭和31年(1956年)の9月12日に桜島の横山地区に開館しました。
当時南九州では初の水族館であり、開館当初はホールが満員になるほどの盛況があったそうです。修学旅行先としても利用され、後年には水族館前の海岸に釣り堀を整備し一時間50円(※昭和33年当時)の利用料金で大変賑わったんだとか。
水族館内の魚類の多くは鹿児島湾及び奄美大島より輸送してきた鹿児島近海のものでしたが、それでも当時生きている魚を観察できることは珍しかったようです。昭和37年(1962年)には皇太子殿下と同妃殿下も訪問され、桜島の自然と併せて大変満足されたとのこと。

水族館は港のすぐ近く(※写真右側)にあった
昭和35年(1960年)5月には、当時の大通り(※現在の国道の旧道)沿いに桜島遊園地もオープンしました。桜島水族館前の広場を利用したもので、園内には延長500mほどの鉄道軌道(※カート)が敷設・運行されていました。
これらは観光バスの路線上にも組み込まれ、当時の桜島一周バスの袴腰(※桜島港) ⇔黒神展望所の路線では「桜島火山博物館・桜島遊園地・桜島水族館」として停留所が設けられました。

左側の海岸沿いにあるのが水族館と遊園地
(出典:国土地理院ウェブサイト
※該当年月航空写真より一部をトリミング加工し利用)
そんな盛況を見せていた桜島水族館ですが、昭和も40年代に入ると全国各地により規模の大きな設備を備えた水族館が続々と建築され始めます。桜島水族館は負けじと観光バス利用者を取り込む策を取るも年々来館者数は減少し、昭和45年(1970年)にはいよいよ存続を議論する段階に陥りました。
極めつけには昭和47年(1972年)、対岸の鹿児島市街地に鴨池マリンパークという海中水族館が開館。そちらは鴨池動物園とも近く、半ば死体撃ちの様な状態になった桜島水族館は昭和48年(1973年)に廃業が決定・翌昭和49年には事業が消滅しました。
なおその後鴨池マリンパークも入場者の減少から廃業し、現在鹿児島市内で営業されている著名な水族館はいおワールドかごしま水族館のみです。

昔は鴨池に動物園も水族館も遊園地もあったんだよね!
今となってはあまり観光色がないみたいだけど……

鴨池近辺もまた歴史的な変遷の面白い場所だな。
ちなみに年代こそ違えど鴨池(郡元)付近には動物園や遊園地の他に、空港や競馬場なんかもあったんだぜ
現在の跡地の様子

桜島水族館の跡地は現在の桜島ビジターセンター付近の海岸側一帯です。
付近はレインボー桜島の駐車場の造成や、レインボービーチの整備により区画や当時の姿は失われ現在は痕跡らしい痕跡は残されていません。
水族館があった場所は、現在公衆トイレが建っている場所付近であったと思われます。

当時はこの場所に大通りがあった
また、桜島水族館前にはバスの通る大通り・現在の国道の旧道がありましたがそちらも現在は消滅しています。
特徴的なカーブがあった場所は、現在の桜島フェリーの車両料金所のある付近。そこから先の海岸沿いの道は遊歩道として整備され当時の姿はありません。

わずかに当時の釣り堀の痕跡が残る
レインボービーチとして整備されている小さな砂浜は、水族館があった当時釣り堀として開放されていた場所です。大部分は取り壊され姿を変えていますが、ほんのわずかな部分に当時の釣り堀の一部と思わしき石積みを見ることが出来ます。
痕跡があまりにも少ない桜島水族館において唯一と言ってもいい遺構です。
おわりに
今回は、意外にも県内では初となる水族館であった桜島水族館を取り上げました。外国人観光客も増えている今もし復活を遂げたら……なんて妄想に浸りますが、如何せん海一つ跨いだ先にいおワールドがあるので実現は難しいでしょうね。橋で結ぶ、なんて構想も立ち上がっておりますし。
ただ、桜島の玄関口には当時はより一般的な観光地があったというのを少しでも知っていただければ幸いです。

ちなみに桜島水族館も遊園地もどちらも大正噴火による溶岩原の上に建っていたぜ。元々は海だった場所だな
参考資料
1.昭和63年3月 『桜島町郷土誌』
2.令和4年2月 『小さな竜宮城=1956(昭和31)年■桜島の溶岩原にあった県内初の水族館』 – 南日本新聞
3.『フォトギャラリー 桜島遊園地』 – 南日本新聞