木屋宇都橋と和田川上流

旧・谷山市

旧・谷山市の中心部を流れる河川の一つ、和田川
権現ヶ尾付近を源流とするいくつかの沢から形成されるこの河川では、流域ごとに多様な自然や歴史の痕跡を見る事ができます。

今回はそんな和田川の上流域に架かる橋のうち、木屋宇都橋という小さな橋をご紹介。
特に深い歴史や特徴がある訳ではありませんが、個人的に好きな橋の一つです。

木屋宇都橋のデータ

  • 所在地:鹿児島県鹿児島市 下福元町 木屋宇都
  • 竣工年月:昭和43年(1968年)
  • 延長:8.6m
  • 幅員:4.4m
  • 現況:現役
  • 備考:駐車場などはありません。橋より先は車両通行困難です

木屋宇都橋について

木屋宇都橋は、その名の通り木屋宇都という地域の中心付近に架かっている橋です。
木屋宇都は和田川の上流域一帯の地域で、大部分が林地に囲まれ民家の疎らな自然豊かな場所になっています。その中を通っているメインルートが市道 慈眼寺木屋宇都線であり、木屋宇都橋もその慈眼寺木屋宇都線と和田川が交差する箇所に存在。

和田川上流と木屋宇都橋

木屋宇都公民館より先、沿道が急激に森になる境あたりに木屋宇都橋はあります。
一般的な構造の小さな桁橋であり、特筆する様な特殊性はありません。この場所に橋が架けられたのも戦後あたりからのようで、それ以前には高台を経由する山道が利用されていました。

橋から見た和田川上流側

橋で渡っているのは和田川の本流であり、ちょうどこの橋の場所で和田川の本流と支流は合流しています。なお、本流側をさらに上流に進むと第二木屋宇都橋が架かっていました。
支流に比べると本流の方が狭く急に見えますが、実際にはこの上流側で本流の方が川幅も広くなっています。和田川の上流については後程軽くご紹介します。

木屋宇都橋

話を木屋宇都橋に戻しまして。
現在の橋は昭和43年(1968年)に架けられたものですが、前述の通り昭和20年代には既にこの場所に何かしらの橋は架かっていたようです。旧橋の痕跡らしきものは無し。

ここ木屋宇都という地域は古くは交通の分岐点にもなっていて、和田川本流沿いの浜田道という街道や、権現ヶ尾方面への山道が合流している地点でした。この橋を含む市道はそれらより一世代後の道であり、あくまで木屋宇都地区の奥部へのアクセス道路として整備されたように見えます。
単純な生活道路や林業道路の整備を目的として開削されたのでしょう。

スズ
スズ

木屋宇都って地名、なんだか面白いね。
“きやうと”って読めばいいのかな?

リスリル
リスリル

半分当たりで、半分外れだな。木屋宇都には現在“きやうと”・“こやうと”の二通りの読み方があって混在しているんだ。
古くは“こやんうと”と呼ばれていたぜ

和田川上流の紹介

ここまで木屋宇都橋についてご紹介しましたが、ついでに付近の和田川上流についても軽くご紹介していきます。
なお、ここでいう本流・支流とは木屋宇都橋付近で分岐するもので、木屋宇都橋と交差するものを本流、しない方を支流としてご紹介します。玉利地域で合流するものなど他の支流については今回取り上げません。

また先に注意喚起として、河川の上流一帯は基本的に地形、野生動物共に大変危険です。
もし現地に興味を抱いた際は、必ず複数人かつ一定の安全が担保される装備・知識のもと自己責任で行動ください。

和田川本流
石塊道と和田川本流上流(2020年撮影)

和田川の本流は上流でも一定の川幅を持ったまま、岩石質の谷の中を流れていきます。畑作地と林地の境には指宿スカイラインの木屋宇都橋が架かっていました。
川に沿う形で石塊道がありますが、これは浜田道の跡とされています。浜田道と云うのは慈眼寺から玉利、木屋宇都を経由して鬼燈ヶ谷に出る古道(※当時の里道)であり、市道に認定されていた時期もあったようですが現在は廃道となっていました。
林業用の道路として使われていたのか、沿道には石積みの小さな窯のようなものも見られました。また、和田川の中にも人工的な治水設備が点々と設けられています。

窯跡と思わしき円形の石積み(2020年撮影)

また、指宿スカイラインの木屋宇都橋付近では小さな沢も合流しています。
そちらは指宿スカイラインのボックスカルバートにより遡上不可となっていますが、古くはその沢を取付とし鬼燈ヶ谷に通じるツブロ坂という九十九折の徒歩道がありました。
情報が全く無いツブロ坂ですが、推定するにこちらが本来の浜田道のルートであり、史料に記されている和田川沿いの浜田道のルートは近代車道として開削された新道ではないかと思います。

和田川支流(木屋宇都橋より南側)
和田川支流上流

木屋宇都橋付近ではそれなりに川幅のあった和田川の支流も、上流にいくにつれて小川程度の水量になります。撮影時期が晴れが続いた渇水期だったのもありますが、基本的に普段から沢程度の水量しかありません。
支流の水源は既に廃業・閉鎖されている錦江高原ホテル跡地付近にあります。川沿いを辿れるのは慈眼寺木屋宇都線の終点のある牛舎付近までで、そこより上流側は私有地として立ち入りが禁じられていました。

以上が、木屋宇都橋と和田川上流のご紹介でした。

あとがき

今回、特筆する事が無いながらも、個人的に好きな木屋宇都橋を和田川上流とセットでご紹介しました。
大きな歴史的意義を持たない橋でも、その裏には必ずストーリーがあります。そう考えれば、今後も小さな橋であろうと色々とセットでご紹介していきたいと思います。

話が180度変わりますが、私はヨルシカというバンドが好きでして……彼らの曲に「花に亡霊」という有名なものがあり、その歌詞の中に「形に残るものが全てじゃないように」「歴史に残るものが全てじゃないから」「心に響くものが全てじゃないから」というフレーズがありまして。作詞者の方はただ綺麗な言葉を並べたと語っていた気がしますが、やけに胸に残っている歌詞の一つです。

リスリル
リスリル

ちなみに〇〇宇都という地名は鹿児島に多いんだが、基本的に谷の奥まった地形を指しているんだぜ。身近に宇都という地名があるという人も多いんじゃないか?

タイトルとURLをコピーしました