鹿児島市には、時代と共に生まれ、そして消えていった隧道(トンネル)が複数あります。
今回紹介するのはその中の二つ、今なお鹿児島市の五ヶ別府町に現存する隧道と、その隣にかつて存在したとされる短い隧道です。
正式な名称が不明のため、ここでは既に消滅している方を饅頭石隧道①、現存する方を饅頭石隧道②としてご紹介させていただきます。饅頭石というのは近くにある史跡で、この付近の地名にもなっています。
饅頭石隧道①/②の概要
- 所在地:鹿児島県鹿児島市 五ヶ別府町 饅頭石
- 竣工年月:①/②どちらも詳細不明
- 延長:①/②どちらも詳細不明。地図上からの推定で、①は約10m、②は約25m
- 幅員:①/②どちらも詳細不明。現地からの推定で約1.5mほど
- 現況:①はオープンカット化により消滅。②は現役
- 備考:付近に車の停められる場所はありません。また、隧道の前後は山道のため訪問は推奨しません。
饅頭石隧道①/②の情報について
これらの隧道についてですが、まず先に断っておきますとほとんど情報がありません。
というのも、これらは最新のものを含め歴代の地形図に描かれたことが無く、筆者自身Yahoo!さまの雨雲レーダーを見ていた際に、たまたま隧道の地図記号を見つけて存在を知ったほどです。
星ヶ峯郷土誌や隣接する松元郷土誌、田上郷土誌や関連資料を読んでも記載はなく、現地に記念碑などもありません。
ただ、航空写真を確認する限りは1960年代に既に存在していたか、工事中であった可能性は高いと思われます。当時の航空写真に、隧道の前後の道が僅かに写っているのが確認できました。
ちょうど影になりやすい場所なのか、それ以前の航空写真上から道や隧道の姿を確認するには至りませんでした。
そのような状態のため、ここでは現地での隧道のレポートをメインとしてご紹介させていただければと思います。地元の方に何か聞ければよかったのですが、早朝だった事もあってか誰一人すれ違いすらしませんでした……。
饅頭石隧道①/②の現地レポート

隧道が実際にあるのは、県道 鹿児島東市来線(24号線)から市道 星ケ峯饅頭石線に入り、坂を下る中でのカーブで分岐していく小径の先です。写真の地点で、左に登っていく形で分岐している道です。隧道がある事を知らなければ、スルーしてまず入ろうともしない場所です。
※Yahoo!地図などでは県道から直接入れるように見えますが、そちらの入り口は竹のゲートで進入禁止がされています。
切通となった饅頭石隧道①

廃道化しつつある小径へ入るとすぐに、このようなモルタル吹付の切通を抜ける事に。
この場所こそが、饅頭石隧道①がかつて存在していた跡地でほぼ間違いないと思います。道路台帳図にもこの場所に隧道の記載が存在していたことが確認できます。
山の突き出た部分を貫いていたようで、隧道の規模としてはそれほど大きくなかったようです。取り被災したのかはたまた安全上の懸念があったのか、壊された理由や年代はその一切が不明。モルタルの吹付自体もそれほど最近という様子にも見えません。
なお、未だに一部のデジタル地図ではここに隧道がある表記のままになっています。

饅頭石隧道①跡地のすぐ脇には、なぜか鹿児島県の物と思われる用地杭が刺さっていました。
崖下は民家で、地下に県道が走っているわけでもなく、なぜこの場所に用地杭があるのかは謎です。治山工事関連で何かあったんでしょうか。
これより先では見かけていないため、一旦この道には関係しないものとして考えておきます。
尾根を貫く饅頭石隧道②

饅頭石隧道①から饅頭石隧道②にかけては、若干荒れた倒竹地帯を進みます。
この様子を見ると、ここ数年ほどはほぼ人通りが無かったように思えました。幸いコンクリート舗装のおかげで、路盤自体が竹に浸食されているという最悪の状態には至っていません。
ただ、夏にはこの場所も緑に巻かれ歩くことは困難になるでしょうね……。
傾斜はなだらかで、狭い道幅に目を瞑れば近代車道を彷彿させる道の造り方です。

倒竹地帯を抜けた先で、風が吹き抜ける音と共に饅頭石隧道②が姿を現しました。
見ての通りの素掘り隧道です。すでに出口も見えており、無事に貫通しているのも確認できました。
大きさは鉄道用のトンネルより一回り小さいぐらいで、少なくとも車道規格ではありません。
坑口付近は小規模な崩落が発生しており、路面上に崩土が積もっていますが、これはシラスなどでの素掘り隧道ではよく見られる光景です。

隧道内部には、3~4個ほど横穴が設けられていました。
深さはさほどなく、特に封鎖もされていません。
横穴の奥を見ればわかりやすいですが、この隧道もまたシラス質の土を貫いたものの一つです。鹿児島の素掘り隧道や防空壕では一般的で、水や衝撃に弱い性質を持つものの平常時は一定の強度を持ち、何より掘りやすいという利点を持ちます。

隧道を南側から4分の1ほど進んだあたりの天井に、謎の板張りのようなものがありました。
穴でも開いた箇所に適当に布を張り付けたような、そんな見た目です。パイプが中心に刺さっていて、排水機能を持っている事は何となくわかるのですが……。

隧道の北側半分には、二か所金属製の支保工も設けられていました。
実はこの隧道の尾根上には現在別の道路も通っていて、その道路からかかる力への対策なんでしょうかね。一つ一つがかなり短い局所的なものですが、しっかりとした造りでサイズも隧道にぴったりはまっています。

やがて隧道の内部は完全な金属製の覆いに変化し、そのまま外へと転げ出ました。
覆い区間は地中ではなく、外に突き出た部分をコンクリートで造った坑門で囲ったものです。
崩落すら起きていた素掘りの南口に対し、北側はやたらと手の入ったコンクリート坑門。とはいえ扁額や銘板の類はなく、現地でもその名前一つすら明らかにしてくれません。

隧道の北口からは道が二手に分かれていきます。
隧道から続く正式な道はそのまま正面に進む道で、そこから分かれる形で隧道の尾根上を通る道への連絡路が存在しています。
今回、この正面の道の先が進入禁止になっている事を先に確認していたので、連絡路の方へと向かう事にしました。

連絡路から隧道の坑門側面を観察。
意外にもがっちりとしたコンクリート造りで、ところどころ元々白色だった名残があります。大きなヒビなども無く、少なくともそれほど古いようには見えません。
航空写真で確認すると、1990年代の写真にこの坑門がはっきりと映っているのが確認できました。坑門の設置もその頃かもしれません。
関係があるかは分かりませんが、航空写真上の写り方を見るに、その時期市道 星ケ峯饅頭石線の舗装か何かの改修工事も行われていたようです。

連絡路から、隧道の真上を通る道へ。
隧道の真上となる場所はまさに尾根の上で、ガードレールの脇は両サイド崖になっています。
この付近が一番尾根が細くなる事から、この場所に隧道を掘ったのだと分かります。
ただし不明なのはその目的で、これらの隧道は幹線道路へのアクセスやショートカットとしての役割を果たしているとは凡そいえない場所にあります。規格も車道と呼ぶには少し無理があると感じます。
となると考えられるのは、あくまで生活道路として平野(※南口側の小字)と饅頭石方面の耕作地のあった谷を結ぶ役割だったという事です。仮にその小さな役割であれば、坑門が設置されたり、逆に隧道①は取り壊されたりとちょくちょく手が入っているのは不思議ですが……。
如何せん情報が無く、動機も存在理由もいろいろ不明な隧道です。
おわりに
今回、偶然発見した隧道を実際に訪ねて記事にしてみました。あまりにも情報が何もないので、何か知っている方がいればぜひご連絡くださると助かります。
なお、訪問時の前日はかなりの荒天でして……雨のせいで地面はぐちゃぐちゃ、当日もまだ風が爆風とかなり無茶をした気がします。筆者は特殊な訓練を受け安全に十分注意して撮影等行っていますので真似はしないように……。
五ヶ別府町近辺には鹿児島市内では珍しい事に沢山の隧道の跡地が眠っているので、そちらもまた記事にしたいと思っています。

道を大きく塞ぐ倒竹があったり、崖沿いの路盤が一部不安定な場所があったから、遊び感覚では入らないようにしてね……!
隧道も、素掘りの場合は特にいつ崩れるか分からないからね!