明ヶ窪隧道

鹿児島市

鹿児島市には、時代と共に生まれ、そして消えていった隧道(トンネル)が複数あります。
今回紹介するのはその中の一つ、かつて鹿児島市の伊敷地区の県道 坂元伊敷線に存在した明ヶ窪隧道です。

明ヶ窪隧道の概要

  • 所在地:鹿児島県鹿児島市 伊敷台七丁目
  • 竣工年月:1936年(昭和11年) 3月 ※暫定
  • 延長:12m(隧道DBより) ※ただし地図上からの推定では20~30m
  • 幅員:5.5m(隧道DBより)
  • 現況:道路のオープンカット化に伴い消失。この隧道のものと思わしき記念碑有
  • 備考:付近に車の停められる場所として明ヶ窪水汲み場があります。ただし長時間駐車は水汲み場利用者の迷惑となりますのでお控えください(※大重谷水汲み場ではありません

明ヶ窪隧道の歴史

明ヶ窪隧道は、現在の県道 坂元伊敷線上に存在したとされるトンネルです。山崎川の形成した谷沿いに通された県道の中で、川が大きく曲がる箇所の地形を貫く形で存在していました。
現在はオープンカット化により消滅しています。
明ヶ窪隧道がいつ頃作られたのか確実に明言している文書等は見つかっていませんが、現地のいくつかの石碑や航空写真などからその時期を推定する事は出来ます。

旧・伊勢神社前 県道脇に建つ県道開通記念碑。
背面には昭和19年12月8日と記されている。

明ヶ窪隧道は現在の県道 坂元伊敷線の一部に位置していました。その現在の県道 坂元伊敷線が開通したのがいつなのか、鹿児島県の公表する文書を見るとその認定日は1958年(昭和33年)11月となっています。ただし、それ以前からもこの地にはその前身となる県道が通っていたと考えられます。
その証拠は二つあります。一つは県道沿いの旧・伊勢神社の参道前に建っている県道開通記念碑の存在で、こちらの背面には昭和19年12月8日と刻まれており県道 坂元伊敷線の認定日より古いものです。もう一つは当時の航空写真であり、1947年10月の時点の航空写真で既に現在の県道と同じ道筋の広い道が開通している事が見て取れます。
また、その航空写真からは1947年10月の時点の時点で既に隧道が存在していた事も明らかとなっています。

1947年10月の現在の伊敷台七丁目付近
(出典:国土地理院ウェブサイト
※該当年月航空写真より一部をトリミング加工し利用)

航空写真の左下の道が途切れている箇所が明ヶ窪隧道です。谷の中の細い濃ゆい線が山崎川であり、隧道のあるあたりは山崎川が大きく迂回してそれに伴い地形が突き出ているのが分かると思います。

日当平住宅内の駐車場にある隧道開鑿記念碑。
背面には昭和11年3月と記されている。

また、明ヶ窪隧道のあった場所より県道 坂元伊敷線を少し下った先の日当平住宅の一画には『隧道開鑿記念碑』が残されています。このあたりで存在が確認されている隧道は七窪隧道と明ヶ窪隧道ぐらいのもので、位置関係的にこちらは明ヶ窪隧道のものではないかと考えられます。
背面には『昭和11年3月』と刻まれており、もしこれが明ヶ窪隧道の記念碑であればおのずと明ヶ窪隧道の竣工日は1936年(昭和11年)頃となります。
ただし一点不明点もあり、前述の通り県道の記念碑は昭和19年の記載があったのに対しこちらは8年も前のものになります。その為隧道が県道とセットで建築されたのであればこの8年の空白は一定の謎を孕んでいる状態です。

スズ
スズ

色んな年月の石碑や情報が絡み合って、どれがどれに対応する情報なのか分からなくなってきちゃうね……

リスリル
リスリル

隧道開鑿記念碑に関しては年月以外何も刻まれていないんだよナァ……。
だから明ヶ窪のものかもしれないし、本当は全く別の未知の隧道のものかもしれない。そこに関しては石碑の詳細を知る現地の人でも探すしか無さそうだぜ

やがて姿を消した明ヶ窪隧道
かつて明ヶ窪隧道があった場所

明ヶ窪隧道は近くにあった七窪隧道よりも長い間しぶとくトンネルとして生き延びていましたが、現在は取り壊され写真の様な普通の道に変わっていました。
残念ながら、旧地形の名残らしき段差以外は特に痕跡は残っていません。

1992年10と1999年3月の明ヶ窪隧道付近の航空写真比較
(出典:国土地理院ウェブサイト
※該当年月航空写真より加工し利用)

現時点で航空写真上で明ヶ窪隧道の姿が確認できるのは1992年のものが最後になっています。その後の1999年時点では既にオープンカット化されており、この1992-1999年の間に消滅したと思われます。なお1997年時点の旧版の地形図ではまだ隧道の姿が描かれており、もしその地形図が正であれば1997年以降に消滅したことになります。

おわりに

鹿児島市は、その平地の少なさから現代に入って台地上に宅地が造成される事が多くありました。その為アクセス道路が少なかったり、坂道で自転車の行き来が厳しかったりするなど日本一の渋滞大国として慢性的な渋滞を招く原因の一つにもなっています。
トンネルはそんな渋滞大国においてボトルネックになります。住民が増えていく団地沿いかつ多方面への往来を目的とした県道上にあった時点で、いずれ取り壊されるのは避けられなかったことでしょう。
最近でも鹿児島では市道拡幅の為に古くからのトンネルがひっそりと取り壊されました。あなたが当たり前のように通っていたトンネルが消えるのは、明日の事かもしれません。

リスリル
リスリル

ちなみに似た条件のトンネルとして鹿児島市には他に玉里団地への市道上に玉里隧道が今もあるぜ。そっちは尾根を迂回する形の道を設置し上下線を分ける事で渋滞対策を行っているんだ

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