鹿児島市には、時代と共に生まれ、そして消えていった隧道(トンネル)が複数あります。
今回紹介するのはその中の一つ、現在も鹿児島市の田上地区と星ヶ峯地区を結ぶ道路の一部として活躍する大牧トンネルです。
二車線で歩道も付いた比較的安全なトンネルですが、昭和末期に改良される以前は大牧隧道と呼ばれる狭く薄暗いトンネルでした。
今回は現在の大牧トンネルと、その前身である大牧隧道の歴史へと迫ります。
大牧トンネルの概要
- 所在地:鹿児島県鹿児島市 田上町
- 竣工年月:不明(昭和61年に改良)
- 延長:約130m
- 幅員:詳細不明(二車線&両側歩道)
- 現況:現役
- 備考:付近に車の停められる場所はありません。
大牧トンネルの歴史
鹿児島市道 大牧線の一部として現役の大牧トンネル。
その背景には、複数のトンネルが関わる複雑な歴史が隠されています。
まず、大牧トンネルの直接の前身となる大牧隧道について、こちらは実は開通年月が未だはっきりとしていません。
しかし、航空写真などから推測する限り昭和40年代の開通では無いかと推測されます。ではそれ以前にトンネルが無かったのかと云えばそうではなく、JR(※当時は国鉄)の旧・広木トンネルと、人道用のトンネルの朝日隧道がありました。
今回はこれらを含めた大牧トンネル周辺の歴史をご紹介します。
鉄道用以外で初の田上-星ヶ峯間隧道 朝日隧道

大正当時、既に田上~星ヶ峯間には国鉄 川内線(※現在のJR 鹿児島本線)の広木トンネルが開通していましたが、徒歩などでの往来には小高い峠を山道で越える必要がありました。
そこで開削されたのが、大正15年(1926年)頃に開通した朝日隧道です。
位置としては、現在の市道 広木星ヶ峯線の朝日隧道記念碑があるあたりから坂を登り、尾根に突き当たるあたりにあったとされています。
田上側の坑口は鹿児島中央霊園のあたりにありました。
全長を通してシラスの素掘り隧道であり、中心に向かって傾斜になっていたのが特徴。
朝日という名称については、隧道の前後がどちらも坂となっており、隧道から朝日が見えた事が由来とされています。

朝日隧道は人道用の隧道として徒歩での往来に貢献してきましたが、後に今回の主題でもある大牧隧道が開通すると旧道となり、やがて廃止される事になりました。
その跡地のうち星ヶ峯側坑口は谷一帯が私有地として封鎖。田上側坑口は鹿児島中央霊園の敷地の一部となっています。
どちらも既に埋め戻されており、隧道は現存しません。
車の通れるトンネル 大牧隧道/大牧トンネル

人道用だった朝日隧道に対し、車での往来が可能なトンネルとして開通したのが現在の大牧トンネルの前身にあたる大牧隧道です。
前述の通り、航空写真などからその開通は昭和40年代と推定されますがはっきりとはしません。星ヶ峯団地が造成される昭和48年(1973年)以前から開通していた事は確かなようです。
二車線分の幅員を持つ現在の大牧トンネルに対し、当時の大牧隧道は車一台が通れる程度の比較的狭い物でした。
また、JR鹿児島本線 広木駅前の星ヶ峯橋を経由する市道 大牧線も開通しておらず、星ヶ峯方面からは松谷橋という小さな橋を渡り、現在の市道 堂ノ下大牧線を通って隧道へとアクセスするルートだったとされます。なお、当時の市報をみればこの堂ノ下大牧線が大牧線として呼称されていた事も分かります。
大牧というのは隧道のある尾根とその田上側で、田上側の谷は大牧ヶ宇都と呼ばれています。

星ヶ峯団地も造成されてきた昭和59年(1984年)頃、星ヶ峯団地と大牧隧道までの大牧線新道の一部として星ヶ峯橋が架橋されます。
しかし、肝心の大牧隧道は時代に見合わない狭さのままでした。
そこで、鹿児島市は昭和60年(1985年)から大牧隧道の拡幅工事に着手。翌昭和61年の7月に大牧トンネルとして装い新たに生まれ変わりました。
その後昭和63年(1988年)頃に星ヶ峯側の道路が改修され、現在の大牧線が開通しています。その際に朝日隧道は埋め戻されたのではないかと推定。

トンネルの入り口にはめてある銘板には、昭和61年竣工と刻んであったよ。
これが大牧隧道の完成日じゃないんだね

トンネルでは普通によくあるんだが、銘板や公的資料にはそのトンネルが改修された年月が書かれる事があるぜ。
今回みたいに大幅に手が入っているケースなんかは特にそうだな
拡幅工事の裏で暗躍 旧・広木トンネル

朝日隧道の星ヶ峯側坑口から少し西に進んだあたり、市道 大牧線の脇に写真のような坑口があります。
これは国鉄 川内線が開通した当初使用されていた鉄道用の旧トンネルです。竣工は大正元年(1912年)前後であると思われます。後に鹿児島本線(※元・川内線)が複線化した際に新たな広木トンネルが掘られ、このトンネルは旧トンネルとして廃止。
この旧トンネルと大牧隧道の間にはちょっとした関係があります。というのも、前述の大牧隧道の拡幅工事の際、この旧トンネルは大牧隧道の迂回路の仮道路として使用されました。

迂回路の供用としては、まず軽車両を含む自動車のみの通行が可能で、午前と午後で方向が切り替わる一方通行のトンネルでした。
午前は市街地方面、午後は星ヶ峯団地方面と、通退勤を考えた構成だったようです。なお20時から翌日朝6時までは通行禁止で、これは一方通行を監視する必要があった為ではないかと思います。
歩行者については、朝日隧道が利用されていた可能性がありますがはっきりとせず。
現在このトンネルは酒造として利用されており立ち入ることはできません。
これらが大牧トンネルを取り巻く主な隧道の歴史になります。
あとがき
今回は星ヶ峯団地に近い場所から、大牧隧道を取り上げてみました。
星ヶ峯付近というのは鹿児島市の中でも特にトンネルにまつわる話が多い所です。他にも団地造成によって埋められた隧道など……また今後取り上げていこうと思います。
実はこのサイトのワラビノというのも、星ヶ峯に由来があったりします。星ヶ峯団地が出来る以前にあった集落が蕨野というんですよ。
まぁかくいう私は星ヶ峯在住でも何でもないんですが。

そういえば、JR鹿児島本線の広木駅が出来たのは意外と最近なんだよ。
駅が出来る以前、星ヶ峯団地付近の人々はわざわざ隣の上伊集院駅まで行って鉄道を利用していたんだって