令和7年(2025年)8月21日、突如として薩摩半島近海で熱帯低気圧が台風12号(レンレン)へと発達し、その影響で数時間に渡り強い雨が鹿児島県西部を覆いました。
雨雲が滞留した事で短時間で多量の雨が降り、南さつま市の万之瀬川水系と鹿児島市の和田川水系が氾濫。各地に浸水やインフラの破壊をもたらしました。
今回はそんな被災した箇所のうち、取り急ぎ和田川水系の氾濫による被災箇所を視察してきました。特に和田川の氾濫は偶然ではなく、河川改修の遅れや地形的な課題が多く残された場所となっています。
和田川水系の概要

和田川水系は、本流である和田川を筆頭に、最大支流の木之下川などの支流から成る旧・谷山市の水系の一つです。和田川と木之下川は中流から下流側を二級河川として県が管理。
薩摩半島の形成する山地を源流とし、複数の街道と関わりのある歴史的な河川でもあります。
特に和田川の中流付近には慈眼寺という寺の跡地があり、その風光明媚さから廃仏毀釈後共楽園として栄え、現在も慈眼寺公園および慈眼寺自然遊歩道として観光地になっています。
氾濫の爪痕 被災状況
そんな和田川ですが、突如発達した台風12号の雨雲を受け令和7年(2025年)8月21日の午後に氾濫、一部で越水が発生し、下流の和田地区に浸水などの被害をもたらしました。

和田川に面した和田小学校付近では水が護岸を越え、道路が川のような状態となりました。
浸水のあった道路上に泥が堆積しているのが分かります。
この場所は令和元年(2019年)に和田川が氾濫した際にも越水が発生。その後、護岸の嵩上げ(写真の中で白い部分の護岸)が行われたものの、今回それでも同地点で越水被害が発生した事になります。
和田小学校のあたりはそもそもの護岸が低く、川床がかなり近い所にあります。
それに加えてこのあたりの和田川は明治後期頃に開削された人工的な流路となっており、和田小学校の一帯は古くは旧河道でした。
つまり元々地盤が弱く、水害にはそもそも弱い地域になっています。
橋脚が倒壊 東軍馬橋

和田小学校の近くに、東軍馬橋という古びた橋があります。
今回当橋は氾濫により被災。橋脚が桁との接続部で折れ、橋脚はそのまま川床に沈み込む形で倒壊しました。写真で川面の中にうっすら見えるのが折れた橋脚です。
付近の植物の倒れ方からして、橋桁ぎりぎりまで水面や倒木などが押し寄せた事が破損の原因ではないかと思います。
なお、以前から今回の破損個所にはクラック(※ヒビ)が生じており、平時はともかく氾濫時などには耐えきる耐久性を既に失っていたと考えられます。
名称の由来や被災前の姿は下記記事をご覧ください。
旧河道跡の水路を襲った泥水

和田小学校から国道225号線を挟んだ先、森山和田三丁目橋が架かる近くに、先ほど和田小学校付近で分岐していた旧河道の合流点があります。写真左(右岸側)に開口部のある水路が旧河道跡地です。
今回、この橋の欄干付近まで水位が上昇。水路へと濁流が逆流し、それに加えて越水も受けた事で旧河道跡の道路が泥で埋め尽くされました。

被害は、水路の蓋上の泥の様子から約180mにも及んでいます。
特に和田川付近の約30mほどの区間は酷く、被災後も降雨があった事でぬかるみとなっていました。
この旧河道跡の水路はサイズの割に水門が無く、それが今回被害をもたらした要因の一つではないかと思います。ただ、水路が無くとも越水自体は発生しているため、河川改修も必須の場所です。
最大の被害区間 旧・谷山街道沿い

今回の和田川水系の氾濫で、最大の被害が出たのが旧・谷山街道の潮見橋から和田名交差点までの区間です。
この一帯は住宅地まで濁流が押し寄せ、家屋への浸水被害や故障車などの物的被害を多く出しました。
被災翌日の午後に至っても、道路を覆ったままの泥がその規模を物語っています。
現在も片付け等の災害復旧作業が続いている状態。

このあたりに被害が集中した原因は、和田川の様子を見れば一目瞭然です。
潮見橋から先ほどの旧河道の分岐点までの和田川は、川床との高低差が著しく小さく、かつ川幅も狭い傾向にあります。さらに、下流側には妙行寺前に洗心橋というアーチ石橋があり、流れのネックとなっています。
アーチ石橋は構造的に優れたものですが、こういった河川の増水時には円滑な流れを阻害するダムのような状態となり、その上流側で越水を引き起こす事例が確認されています。

和田川が氾濫の危機に陥った事は度々あり、実際に水害リスクを理由に旧・谷山街道に架かっていた石橋(旧・潮見橋)が解体された過去もあります。ではなぜ根本的な河川改修が進んでいないのでしょうか。
その背景には、この一帯が古くから旧・谷山街道沿いかつ和田城の麓に位置している宅地であった事があります。その為川幅を拡げるのに必要な用地の取得が高い壁となっている事に加え、周囲の地盤を嵩上げしようにも大きな時間と費用を必要とするのです。
では川底を掘り下げるのはどうか?残念ながらそれにも課題が。
というのも、和田川には最大支流の木之下川があり、両者ともに改修を加える必要が生じます。また、和田川の護岸が全体として古い時代のものも多く、単に浚渫するだけでは終わりません。
鹿児島市内を流れる稲荷川という川では、排水トンネルを設ける事で洪水被害を抑制する計画が進められています。しかし、和田川には適した地形が無く、それもまた難しいと思われます。
近年異常気象が続く事もあり、和田川の氾濫リスクが懸念段階を超過しているのは確かです。
根本的な改修を構想ではなく実体を伴って行うべきフェーズに来ています。

石橋が越水を引き起こした事例は、鹿児島市の甲突川の河頭太鼓橋などがあるぜ。
だが、逆にいえばそれより下流に洪水被害が広まるまでの時間を稼ぐ役割も担うんだ

土木遺産や地域のランドマークとしての価値も担っているから、災害リスクを高める事を理由に撤去する事もすぐにはできないんだね。
何か活かしたまま河川改修ができないのかな
冠水が発生 慈眼寺大橋下

少し上流側、慈眼寺公園の入り口近くにはJR 指宿枕崎線の橋梁と県道の慈眼寺大橋と市道が交差するアンダーパスがあります。
今回このアンダーパスでも冠水が発生。写真右を流れているのが和田川です。
また、和田川に沿った慈眼寺公園も被災。慈眼寺遊歩道の看板が先ほどの旧・谷山街道の被災地まで流れ着くほどの被害が発生しました。
じゃんぼ餅で知られる慈眼寺そうめん流しも、シーズンである夏季の営業に打撃を受けています。
木之下川でも氾濫被害 谷合地区

支流である木之下川でも氾濫による被害が発生しました。
木之下川は和田川に比べ河川改修がしっかり行われていますが、それも岩下橋付近までの話です。岩下橋から上流側は通常の小川程度の設備であり、増水時のリスクは高い状態にあります。
今回丁度その岩下橋を境に、上流側で洪水被害が発生。地面には流木などが散乱し、泥も一部箇所で積もっている事が確認できました。
以上が、筆者が確認した現地の被災状況になります。
現地では地元の高校生らを含めた災害ボランティアによる作業がされており、復旧に向け前向きに進んでいる状態です。
一方で、あらかじめ被害を防ぐ和田川の河川改修がこれを機に進む事を期待します。
あとがき
今回、私自身もJRが止まるなど迷惑を被った台風12号の被害の一部を、記録を兼ねて視察してきました。
実は全く他人事ではなく、筆者の名前の福元たまりの由来も下福元町の玉利(和田川流域)なのでThe ローカルなネタになります。景色が好きなだけで玉利在住ではありませんが。
旧・潮見橋の時のように、また洗心橋などの価値ある石橋を撤去してその場しのぎの河川改修が行われない事を強く願っています。

水害被害への自衛として、一階部分を駐車場等にした構造の家(ピロティ)を建てるという手段もあるんだ。実際、鹿児島市の新川沿いなんかにはそういった構造の建屋が散見されるぜ