国道3号線 湯之元の旧道

薩摩半島西部地域

九州を西部で縦貫する陸路の大幹線、国道3号線
歴史上のいくつかの道の継ぎ接ぎで構成されているその道程には、随所にその旧道も付随しています。近年では大幅な線形の改良も盛んであり、バイパスの整備や鉄道などとの平面交差の解消も進められていて、その際生じた旧道は県道市道に格下げされて今なお残っている場所も多数。
今回はそんな旧道の中から、鹿児島県の日置市 東市来地区と湯之元地区を結ぶ区間に残る旧道をご紹介いたします。

湯之元の旧道の位置と概要

今回ご紹介するのは、国道3号線の東市来町交差点から湯之元交差点までの区間の旧道です。
現在の当区間の国道3号線は、東市来町交差点から坂を登り長里跨線橋でJR 鹿児島本線と立体交差してから、消防学校などのある高台を経由して湯之元へと至っています。それに対し、旧道は概ねJR 鹿児島本線の線路に沿う形で通っていました。
湯之元温泉センター海洋センターのある通りがその旧道になります。

現役当時(1948年4月)の湯之元の旧道全景
(出典:地図・空中写真閲覧サービス
※該当年月航空写真より一部をトリミング加工し利用)

この旧道を取り上げるにあたって、その前身ともなる薩摩街道 出水筋西目筋)についても軽くご紹介させていただければと思います。
薩摩街道というのは主に北九州地方と鹿児島とを結ぶ街道で、経由地の異なるメインルートが二つありそれぞれ西目筋と東目筋と呼ばれていました。うち出水や八代経由の西目筋が現在の国道3号線、日向を経由する東目筋が国道10号線にあたります。
西目筋は後に出水筋とも呼ばれ、現在はこちらの呼称が一般化。ルートは概ね国道3号線に並行しているものの随所は異なっており、この湯之元の旧道区間においても出水筋は別の場所、少し南側の南九州西回り自動車道付近を経由していました。

今回の旧道もまたその出水筋の新道にあたり、当時の国道3号線の一部として整備が開始されたのは明治18年(1885年)頃と見られます。出水筋は明治16年(1883年)に当時の三等国道 国道37号線に指定されていましたが、起伏が激しく狭隘区間が多い事から車両などの近代交通には適さず、新道の開削が行われる事になりました。
そうして整備された道の一部が今回の旧道です。

スズ
スズ

元々は別の番号を持つ道路だったんだね!
……でも三等、って何だろう?くじ引き?

リスリル
リスリル

三等国道というのは、明治初期に定められた国道の等級分けの事だな。簡単に言えば道の規模で、幅員を主として分類されていたぜ。
明治時代の中頃に等級分けは廃止されて、その時の国道再編で生まれたのが俗にいう明治国道だな

現道と湯之元の旧道全景
(出典:地図・空中写真閲覧サービス
※該当年月航空写真より一部をトリミング加工し利用)

今回の旧道には、現役当時に一つの課題がありました。それは東市来町交差点から約300mほど進んだ先で、踏切でJR 鹿児島本線と平面交差する必要があるという点でした。
踏切というのはその構造上通行のボトルネックになりやすく、幹線道路ではそれはより顕著になります。そこで新道として開削されたのが、長里跨線橋で線路と立体交差する現在の国道3号線のルート(以下、現道)でした。
詳細な工事の記録はあまり公開されていないものの、長里跨線橋の竣工日が昭和36年(1961年)である事から、この頃現道への付け替えが行われたと推測できます。

現在の湯之元の旧道の様子

今回実際に現地で旧道を辿ってみたので、現在の旧道の様子をご紹介いたします。
進路としましては、東市来町交差点から湯之元交差点方面へと進む流れになります。

東市来側新旧分岐点を左へ
東市来町交差点。左が旧道、右が現道

現道と旧道との新旧分岐点は、明らかに分かりやすい状態にありました。
現道は東市来町交差点からカーブと坂道に入り、その手前で線形を保ったまま直進するのが旧道。旧道の一部は歩道に転用されています。
このような新旧分岐点は一般的にはよく見られる形です。

旧道。現道は右の高台上

分岐後の旧道はストレートのままJR 鹿児島本線の線路へと向かっていきます。
写真の場所には現道へ連絡する階段があり、その中腹には石製の灯篭と小さな石碑(祠?)がありました。

杉ノ尾踏切
杉ノ尾踏切

旧道とJR 鹿児島本線の線路がぶつかる場所にあるのが、杉ノ尾踏切です。特筆する事もない至って普通の踏切で、近くにはやたらと踏切注意の旗や標識があります。
鹿児島本線(川内線)は一部のみ複線で、この東市来駅~湯之元駅間は単線。当区間はJR 貨物も利用していて、タイミングが合えば貨物列車を見る事も出来ます。

旧道と小川の交差部(函渠)

踏切の先で旧道はカーブに差し掛かり、その先端には付近を流れる小川を渡る箇所があります。
見たところ橋というよりもボックスカルバート函渠)でした。古い地図を確認しても特に橋の記載はありません。袂には消防水利がありました。
小川はこのまま近くを流れる江口川へと注いでいます。

長里跨線橋をくぐる
長里跨線橋

旧道は線路と合流し、共に現道の長里跨線橋をくぐります。
跨線橋は両側に歩道橋が併設された立派な桁橋。なお開通当初この橋に歩道はなく、歩道橋は後から設置されたものです。
この一帯はちょっとした切通。崖にはぼこぼこと防空壕の跡が点在しており、戦時下において既にこの道があった事が分かります。
また、橋の下らへんでは現道へと接続する坂道が分岐していました。そちらも古道の一つで、現道とほぼ同じルートを取っていてある意味現道のもう一つの旧道にあたります。

旧道。橋をくぐった湯之元方面

橋をくぐった後の旧道は、下り坂に転じてそのまま湯之元方面へ。
写真右の茂みを挟んだ先にJR 鹿児島本線の線路。現道は写真左の崖の上を通っています。

宅地の中を進む旧道
湯之元温泉センター

旧道はやがて湯之元東部の住宅地の中を進んでいく事に。
旧道沿いには、湯之元温泉センターという浴場もありました。
この湯之元地区というのは、その地名が指す通り古くからの温泉街の一つです。以前は薩摩藩によって管理されており、今でも数々の温泉施設で賑わっています。

瀬之口温泉組合の看板。旧国道の記載がある

温泉の管理は地区ごとにそれぞれ組合があるようで、旧道沿いには瀬之口温泉組合の看板がありました。
なぜわざわざこの看板を取り上げたのかといえば、旧道を示す場所に『旧国道3号線』の記載があったからです。旧道となった年代がそこそこ古いのもあり、現地では何か旧国道を示すものはやっぱり何も無いのかなぁと落ち込んでいた矢先の事で心持ちよくなりました。

旧道。海洋センター前

旧道と大里川との合流地点には、B&G財団の運用する海洋センターが営業しています。海洋センターと付いていますが一種のレクリエーション施設となっています。
この写真の場所からは市道 湯之元山田線も分岐しており、そちらを使えば高台を通っている現道にもアクセスできます。

現道。深い切通の中を通る

せっかくなので市道の坂を登り現道へ。
現道は写真で見れば分かる通り、そのほとんどが台地を深く掘り下げた切通で構成されていました。
写真は跨道橋から湯之元方面を写したもの。奥に見えている市街地が湯之元の温泉街です。

湯之元側の現道との合流部
旧道。現道までの直線部

現道との合流部が近づくと、旧道沿いにはやたらと空き地が目立つようになりました。
これらの空き地には元々住宅などが立ち並んでいたのですが……。
というのもこの湯之元地区は土地区画整理事業の真っ只中で、道路の拡幅や河川の改修、区画整理が同時に進められている状態です。そのためあちらこちらに空き地があり、数年前に通った道が消えていたりとなかなかワンダフルな体験ができます。

湯之元交差点。左が旧道、正面が現道

直進した先、湯之元交差点で旧道は現道に合流。こちら側は言われなければ旧道とは気付きづらい線形をしています。
国道3号線はこのまま湯之元のメインストリートとなり、その後いちき串木野市へと入っていきます。道中にはとある神社の初代鎮座地などがありますがそちらはまた別の機会に。

ここまでが現在の旧道の様子になります。直接旧国道を示すアイテムは後年に設置された看板ぐらいしか見つけられませんでしたが、幅員や雰囲気は完全に旧国道という感じでした。

おわりに

今回、言ってしまえば何処にでもあるような地味な旧道を取り上げてみました。
ただこういったものは大抵、実際に歩いてみるとちょっとした機微のような個性が見えてくるのが面白いところです。普段利用している県道や市道にも旧道というのは基本ありますので、気が向いたら散歩のルートに組み込んでみても楽しいかもしれません。
たまに石碑や謎の構造物が眠っている事があります。

リスリル
リスリル

湯之元温泉街にはいろいろとお土産もあるんだが、個人的にオススメなのは湯之元せんべいだな。
以前訪れた際には湯之元駅前のコンビニ内でも販売されていたぜ

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